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テニスでは「相手を観察し、準備する」のが前提になる

doubles 根拠とする理屈を考える

『ボールを打つ技術』よりはるかに重要な大前提

テニススクールでレッスンを受けていると、思うように上達しなかったり、同じミスを繰り返したりする状況に「もっと練習して技術を向上させないとダメだなぁ」と思います。コーチ等「自分よりテニスが上手い人」を見る事で自分との技術の差を感じるからです。

でも、1年、2年と練習しているのにその状況が改善されない。大きな改善が見られないならそれは『ボールを打つ技術』以外に問題があるのかもしれません。「週イチのテニスだから上達しなくても仕方ない」と思ってしまうのは勿体ないです。

テニスにおいて『ボールを打つ技術』よりはるかに大切な事があります。それは「相手を観察し、予測し、判断し、準備する」という事です。

テニスのプレー中に「飛んでくるボールを見てから判断し、動き出す」という様子を頻繁に見ます。

なぜ、分かるかと言うと相手がボールを打つ際の様子、構え方、コート上の居る位置、ボールを打った後の動き出し、ボールを打とうとする準備等の全てにその事が反映されるから一目瞭然なのです。

この後、述べていきますが『相手を観察し準備することの有無』が自分の実力を出せない理由になってくるし、多くの方がその事を “知らないまま” テニスを続けていると考えています。

テニスの前提になってくる部分を知らない、やらないままボールを打っているのですから、多少、『ボールを打つ技術』が上がった位ではテニスのレベルは上がっていかないのです。

「飛んでくるボールを見てから準備する」のではテニスが成立しない

ボール速度としては決して速いとは言えない時速100kmでも、計算上、ベースライン間の距離を0.4秒で到達する計算となります。(実際は空気抵抗等で速度は落ち、バウンドにより更に失速します)

100キロは0.4秒で到達

一方、人の反応速度は速い人で0.2~0.3秒と聞きます。

これらから「飛び始めた相手の打ったボールを “見てから” 準備するのでは間に合わない」といった事が言えます。これはベースライン間の話なので、ネットにより近い位置にいれば準備時間は「更に短く」なります。

縦ラリー 相手

相手のボールがもっと遅く、山なりの軌道なら飛んでくるまでにもっと時間がある。或いは何となく手を出したらうまく打てて返球できたとしましょう。それでも、ボールが相手の所まで飛んでいくまでの時間、相手が打ち返して自分の所に飛んでくるまでの時間。その間に「ボールを打ち終わって態勢が崩れている。崩れた態勢を立て直す。相手のボールを見る。準備する」までが間に合わないという事が起こる。ダブルス前衛やネットプレーを行う際に「相手のボールを打てたけど、その後のボールに準備が間に合わない」といった事が起きるのはこの事が大きいと思います。

ここで必要になるのが「相手を観察し、予測し、判断し、準備する」という事だと考えます。

予測し、判断し、準備する

とは言え、我々は日常生活で『予測』を使っています。

目で見た情報から「あの信号、もうすぐ赤に変わりそうだ。間に合いそうにないから歩く速度を落とそう」「あの人、まっすぐ進んできたら自分とぶつかりそうだ。こっちも見てなさそうだから予め端に寄って避けよう」といった事を行っているでしょう。テニスの場でも「あの人は強いボールを打ってくるからなぁ。嫌だなぁ」「あの人は速いボールを打たないからポーチに出るチャンスかな」といったこの後の状況に対する予測は無意識にやっているかもしれません。

では、何故「相手の打ったボールが飛び始めてから判断し準備しようとする」のかというと

  1. 球出しのボールを打つような状況を「自分がボールを打つ」事の規準にしてしまう事で「自分がボールを打ったら終わり」という行動が染み付いてしまう
  2. 自分がテニスをプレーしている人間 (テニスプレーヤー)だと自覚できていないので、打ち合っている相手も自分と同じテニスプレーヤーだと認識できない。

といった部分があるのかなと思っています。

「球出しのボールを打つような状況を『ボールを打つ』規準にしてしまう」の上達のひとつの壁

我々は「球出しのボールを打つような状況を自分が『ボールを打つ』という事の “規準” にしてしまう」傾向 があります。

tennis lessons

球出しは自分の『ボールの打ち方』を確認する練習という事もありそれ以外の要素に神経を使わずに済むように設定されています。『打ち返してくる相手』も居ないし、ボールを追う、打つ位置を合わせる、打った後に構えて準備し次に備えるといった部分が求められません。「気持ちよくガツーンと強打」が出来るのも球出しならではですね。

ボールを打つ際の心理的負担も少なく、本人としては『心地よい』状況。常にそんな『ボールの打ち方』をしたい。「これが自分の打ち方だ」と思ってしまうのは仕方ないのかもしれません。週イチしかないテニスの機会。気持ちよくボールを打ちたい。難しい事をやろうとしてミスばかりで終わりたくないですからね。

因みに海外のテニスYouTubeチャンネルを見ていると球出しのボールを打たせるのはそのショットの導入時、打ち方を説明する際位で打ち方や打つタイミングが分かったら、すぐに対人のラリー、ボレスト等に移行する印象です。「そのショットは相手と打ち合うのに使うんでしょ。何で球出しのボールばかり何十球も打つのさ?」という感じなのです。

テニスは「相手ありき」のスポーツ

テニスというスポーツは「誰よりも遠くまで飛ばしたら勝ち」や「誰よりも速度が出せたら勝ち」といったルールではありません。試合 (ゲーム) には対戦相手が居ますし、素振りや壁打ち等を除き1人では練習もできないです。

先に述べた「球出しのボールを打つ」というのは「バッティングセンターでマシン相手にボールを打っている」ようなものです。

バッティングセンター

実際の試合で「打たせまい」と配球を工夫してくる。三振を取る、内野ゴロを打たせようと速度、球種、コースを投げ分けてくる相手バッテリーと対戦している状況が (試合に出ない、ずっとバッティングばかりするというケースを除き) 本来の「野球をしている」という事なのでしょう。

テニスで言えば、『毎回、球種、速度、コースが違う』相手が打ってくるボール。「得点してやろう、ミスさせてやろう、攻撃させないようにしよう」と配球を工夫してくる、打ち損ねて変なボールになってくる事もある相手が打つボールを打つのが本来の「テニスをしている」という事なのだと思います。

個人的には「球出しのボールを打つような状況を自分が『ボールを打つ』という事の “規準” にしてしまう」段階はテニスを始めた段階で誰にでもあり、それを「越える」事が求められる。

そして、対人で「得点してやろう、ミスさせてやろう、攻撃させないようにしよう」と相手が打ってくる、毎回内容が異なるボールを打つ状況を前提に「自分がボールを打つ」という事を考えていかないといつまでも「球出しのボールは打てるけど、対人のラリー、試合になるとミスばかり、実力が発揮できない」という状況から抜け出せないと思います。

doubles

Game based approachという意識、練習意図、練習の意味を自分でも考える

最近 “Game based approach” という言葉をよく聞くようになりましました。

これは「試合中に起こりうる状況を前提に取り組んでいく」「試合中に一場面を切り取ったような練習をする」といった意味です。

テニススクールのレッスンでも “球出し” 練習で「アプローチショットを打って前進、サービスライン付近で1stボレーを打つ」「スマッシュを打ったら次のボールはハイボレーで決めるように打つ」といった内容が設定され、実際にこれに参加していると思います。

これらも試合中の一場面を想定した “Game based approach” に基づくものですから「アプローチショットはミスしたけど気にせずボレーを打つ」「スマッシュをミスしたけどボレーを強打」といった “よく見る” 光景 はコーチが設定した練習意図を理解できていない証拠と言えるでしょう。

アプローチショットをミスしたらそこで失点。スマッシュをミスしたらそこで失点。その後のボレーを打つ事はできない。むしろ「その後のボレーを打つために相手に自分がボレーをしやすい返球をさせるためのアプローチショットやスマッシュを打つ。相手を想定してどこにどう打つか?」と考えるべきだと思います。

短いボールを角度を付けて打つ

全く同じ練習内容に参加しているのに、

一方は「その後のボレーを打つ事ばかり考えていてアプローチショットはいい加減。ダラダラと歩いて行き、漠然と打ってミス。次にどんなボールが来るか分かっているのでボレーだけ強く打とうとする」

もう一方は「相手コートの対角線に深く低いボールを打ち、サービスライン付近でしっかり止まって準備しコーチのボールを待つ。打つ動作に合わせてスプリットステップ。ボールに合わせて細かく動き、軸足、踏み込み足とステップして丁寧に相手コートクロス方向に浮かない1stボレーを打つ」

その1回の練習効果、それが毎週、半年、1年後と考えれば恐ろしいほどの差が着くのは想像ができます。

また、その練習内容を設定しているのはコーチです。毎回「この練習内容の意図はこういう事です。こういう事をやってほしいからそれを考えて取り組んで下さい」等とは言わないでしょうし、テニスをやる目的はその人それぞれなのでテニススクールのレッスンなら “強制” のような指示もできません。ただ、この2つの取り組みのどちらに「良い印象」を持つかと言えば、当然、自分の “練習意図を” 組んでいる、或いは、自ら考えて取り組んでくれていると感じる後者の方ですよね。まじめに練習しているか、熱心かどうか以前の話です。

「自分が打ったら終わり。相手のボールが飛んできてから準備する」から卒業しよう

よく見られる「自分がボールを打ったらそこで終わり。相手のボールが返ってきたらそのボールを見てから準備を始める」という習慣が染み付いてしまうのは

  1. 『ボールの打ち方』を確認する球出し練習
  2. 球出しのボールで打っているような打ち方が自分の『ボールの打ち方』
  3. 対人や試合でも球出しのボールを打つようなタイミング、打ち方で打ちたい。それが自分の『ボールの打ち方』だから
  4. 毎回、内容が違うボールに同じタイミング、同じ打ち方を用いようとしてミスばかり

という流れにハマってしまっているのだと考えます。

そしてその事に気づかず、或いはどうして良いのか分からず「ミスするのは技術の問題だ。上達すればうまく打てるようになるのだ」と思ってしまう。そして「周りに通用しているのだから自分のテニスは十分だ」と現状に “慣れて” しまい、上達のイメージから遠ざかってしまうのだと考えます。

そもそも「相手が打ったボールを見てから準備する」のはコートの大きさ、道具の進化、テニスのルール等から妥当とは言えないですし、相手のボールに慌てたくないのなら「球出しのボールを打つようなタイミング、打ち方で常に打とうとする」のではなく、「相手を観察し、予測し、判断し、準備する」事で心理的・身体的な余裕を確保すると考える、実行する」方がテニスというスポーツには合っている。それがテニスの行う際の前提になってくると考えます。

球出しのボールを打つ際がそうであるように毎回「フォア側にこんなボールが来る」と予測できている、それに基づく準備が出来ていれば自分の実力を発揮しやすい。相手のボールに慌ててしまう。1回は返せたけど次のボールが間に合わないといった事が起きなくなる。テニスの前提になる事を当然の事としてやっている。それが『普通』になってくると思います。

観察と予測の習慣付け